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アルビオンの独自性
私は今回のアルビオン講座で化粧品の歴史から商品の開発・製造・販売まで様々なことを学んだ。その中で特に第14講の企画でアルビオンの独自性が強く感じられた。
アルビオンの特徴は商品の品質の良さにあると考える。顧客リピート率が高く、一度使ったら長く愛される。そのため商品をお客様に知ってもらう機会を作ることが非常に重要だ。企画部署では、多くのお客様に商品を知ってもらうために様々な宣伝方法が行われていた。例えば
この中で
これは質のいい
企画部署の方は「顧客が真に求める商品やサービスを作り、その情報を届け、顧客がその価値を効果的に得られるようにすることが必要。」だと仰っていた。これはアルビオンの企業概念であるとも考える。どのような商品を開発したらいいか分からなくなった時は概念を
私は将来食品企業で商品開発をしたいと考えている。商品開発をするにあたって
流れ星に乗せた夢
2018.07.15 札幌ドーム
始まる前は正直不安でたまらなかった。
6人が大丈夫かというよりも、私が受け入れられるかどうか、公演後の自分が全く想像できなかった。
赤いものを身につけている人を見ると、この3ヶ月間、計り知れないほどの感情で苦しめられていたんじゃないかと勝手に推測し、胸が締めつけられた。そしてその赤い人に会えないということを受け入れた上で、6人に会いに来るのはどれほどの覚悟が必要だったんだろうと思ったりもした。
私は初めて見る6人の姿を受け入れられるだろうか。やすくんのテレ東で見た一瞬の苦しそうな顔を直接見たら、どうなってしまうのだろうか。
開演前のエイトコールがすごく大きく感じた。私が見てきた中で1番だった '16 元気が出るLIVEオーラスで大倉が居ないことを告げられた公演より大きかったんじゃないかな。
7/14-7/15の日にちが変わる瞬間、事実上は関ジャニ∞が6人になった。でも私は時計の針は動いただけにしか感じられなくて、全く実感がなかった。それは、7人から6人になる瞬間が7/15の札幌ドームで6人にスポットライトが当たった時だと思ったからだ。だから私は、会場に入り暗転するまで歯が震え、今にも涙がごぼれそうだった。
OP映像が流れ、6人にスポットライトが当たった。バンドスタイルで現れた6人。前列のギターベースを3人で立ち姿は、やっぱりさみしかった。
それでも始まったコンサートの1曲目は応答セヨ。正直、LIFEやNOROSHIなどで始まると思ってたから拍子抜けだった。渋谷すばるの卒業公演ではなく、関ジャニ∞再スタートとコンサートだということがよくわかるセトリになっていた。BJのイントロが聴こえた時はどうしようかと思ったけど、いまの彼らが歌うBJは一段とかっこよかった。
すばるのパートは錦戸を中心に6人で歌っていて、よくすばるのハモリをしていたことからやすくんよりも丸山の方がパートが多くなったように感じた。すばるのパートが近づく度に誰がどんな風に歌うんだろうとそわそわしてしまったけど、誰もすばるに似せてなくて、でもどこか似てしまっていて愛おしかった。
錦戸が言っていたように、
これが、この違和感が、すばるのいた証だ。
でもやっぱり今の6人の音楽は最強だった7人の音楽に欠ける。まだまだだ。それでも6人の熱量だったら違うベクトルの最高の音楽を創り上げられるって確信できた公演だった。彼らならきっと大丈夫だ。そして、最高の音楽になるまでの彼らを応援したい。
コンサートを終えて、1番の感想が「たのしかった!」だった。この3ヶ月間数えきれないほど涙を流したから絶対泣くと思ったのに、6人の音楽が鳴ってしまえばそんなことなかった。「こんなことなら早く6人の音楽を聴いたらよかった」と思ったほどだ。
今回のことで私はやすくんだけじゃなくて7人が好きになった。今まではやすくんに会えるから足を運んでいたコンサートだけど、もしやすくんがグループを抜けてしまってもやすくんのいないコンサートに行きたい。そして今は居なくなったすばるに会いたい。
もっともっとはやく気づくべきだったんだろうな、 アンコール前の6人がはけた時に、すばるが居た7人のエイトに会いたくなって泣きそうになってしまった。
きっとこの後悔はずっと消えないと思う。今だって戻ってきて欲しいと思ってるし、7人の歌ってる姿が見たいし、6人に囲まれて笑ってるすばるがみたい。でも、そんなすばるが見たい景色を応援したい。まだまだ気持ちの整理はつかないけれど、いつかお互いが私たちの届かないくらい大きくなった時に7人しかわからない雰囲気で笑いあっていたら、こんなにも嬉しいことはない。
3ヶ月間、すっごく辛かったな。それでも無くてはならなかった期間。愛し直した期間。この先何があるか分からないけれど、どうか7人が、これからもずっとずっと幸せでありますように。
(やすくんのことは気持ちの整理がついたら少しずつ追記します。)
繋ぎ止めて、愛で
センターが抜けることを告げられた3ヶ月前から今日まで、私はどれ程7人から6人になることを飲み込めたんだろう。
なにもなかったかのように思える時は、現実に目を背けていたり、7人がどこまでもいつも通りでいてくれた時で。ふと"最後"や"ラスト"という言葉を聞くと何かが溢れ出して、私の中で4/15から時間が止まったままだったということに気づかされた。
思い返せば、「どうやって夏まで過ごせばいいんだろう」とひたすら悩んだ3ヶ月間だった。後悔したくないけど、後悔しない過ごし方がわからない。DVDもCDも目も耳も、心以外は彼らから離れてしまった。すばるや6人にとってそれが嬉しいことではないとわかっているのに、私は近づくことができない。
私の中での時間は止まっていても、周りは何もなかったかのように過ぎる。不祥事による山口くんの脱退、小山くんの活動停止。ジャニーズ事務所大丈夫か、といった類の言葉を何度も目にしたけど私は決して一括りにして欲しくなかった、すばるは門出なのに。
でも私は祝えてない、だからその時初めて背中を押せるかもしれないと思えた。いやだ、行かないでと腕を引っ張るのではなくて、寂しいけど、6人なら大丈夫だって胸を張って言えるかもしれない。
けれど、6/6ジャニ勉収録ですばるは欠席だった。いきなりすぎて心に空いている大きな穴の深さが増した気がした、私の中でこの収録が1番初めにすばるが欠けることを実感させられた出来事だった。(実際はそうではなかったのだけれど)そうか、こうやって居なくなっていくんだと思ったら寂しい気持ちが大きくなって、また4月の感覚に戻ってしまった。
でもそれ以上に悲しかったことがやすくんもジャニ勉を欠席したことだった。
ありえへんの収録は出席していたから、1度仕事に戻ったんだと思う。でもどうして?やすくんの怪我が本当なのかわからない。本当に打撲したの?すばるの脱退会見を開かなければ知ることができなかったであろうやすくんの怪我。応援することだけしかできない私は事務所の言ったことを信じるしかなくて、一気に遠い存在なんだな、と思ってしまった。
7人はいつもファンを大切にしてくれている、ファンの力がなければと今まで幾度も惜しみなく言ってくれていたから勝手に一緒に這い上がっている気持ちだったのに、私の力なんてなくても大きな決断をして前に進んでるんだなぁ、って。分かってるんだけど、寂しかった。
そんな時、やすくんが病気だったことを告げられた。私たちを心配させないように言葉を選んで伝えてくれているのは痛いほどわかるのに、本人の口から聞いた時は鈍器で頭を叩かれたようだった。本当に辛いのは本人なのに。それに時期は去年の2月、脳腫瘍(髄膜腫)摘出手術。TVや雑誌をいままで通りにこなしていただけでなく、その3ヶ月後に主演舞台・5ヶ月後に5大ドームツアーも行った。どちらも足を運んで、やすくんばかり見ていたのに全く気づくことができなかった。“絶対”を簡単に口にしないやすくんが、命かけて海鹿コージを演じると言った俺節。心の叫びのようなその歌声は、いままでの歌とは比べられないほど力強く、どんな言葉よりも心に響いた。ジャムでもいつも通り全力で、安田章大を魅せつけられた。なにも疑わなかったのに。
それなのに、まさか病気だっただなんて。
そして、知った後でも私は何もすることができない、自分の無力さに涙が止まらなかった。
けれど、次の日 脱退会見以降止まっていたボク。が更新された。
ボク。が更新されなかったことについて丁寧に話してくれた後、「エイターは、決して無力なんかじゃないよ?わかってくれてるかな?」に涙が止まらなかった。
私は脱退会見以降、7人が急な決断をしたことに距離を感じてしまっていたけど、決してそんなことなかった。
全て分かった上で、病気を伝えないことを決断してくれたり、公表するタイミングを見計らってくれたり、心配させないように言葉を選んでくれたり、怪我で十分なパフォーマンスが出来ないことを文字でワンクッション置いてくれたり、やすくんの怪我があっても7/15に6人で立つことを決めてくれたり、時には「今止まったら歩み出せなくなりそうで…」と弱い部分も見せてくれたり、今回のことでファンの悲しさや怒り悔しさなどの感情をどれもまとめて肯定してくれるような姿をメンバー様々に見せてくれたり、どこまでもファンに寄り添ってくれているんだと思った。
病気を公表した動画の最後に、やすくんが「歩む先をみなさんが見失わないように、エイターの手を僕たちがしっかり取って引っ張って連れて行くから」その言葉がどれだけ嬉しくて、今まで聞きたかったか。自分でも驚くほどこの人のことをずっとずっと応援したいと強く思った。
十祭で披露したありがとうのやすくんパート「一度きりだけの人生じゃ伝えきれない 二度目の人生もみんなに伝えるため会いに行くね」がやすくんらしくて大好きで。でもそれはこっちのセリフだよばかやろーって感じだ。
この3ヶ月間、寂しくて悔しくてつらくてもどかしくて、何度も何度も目の前が見えなくなったけど、1度も好きにならなかったらよかったなんて思わなかった。
永遠なんてない。そう教えてくれたメンバー。それなら私はいまをずっとずっと応援していきたい。
6/30からはすばるのラスト出演が続く怒涛の1週間だった。スバラジ・ペコジャニ・ジャニ勉・Mステ・クロニクル・MUSICDAY・関ジャム。
どれも夜通し泣いた。7/15以降は元々6人であったかのようにすばるの存在が消えていってしまうと思っていたから、全く視聴率狙いだと思えない番組側の配慮も嬉しかった。
どの番組もすばるの”最後“に対する、テレビ局の優しさだったり背中を押しているかのような優しい企画で、これが今まですばるが築いてきたものなんだな~と思って誇らしかった。それは4月の頃には感じられなかった嬉しい気持ちも心にどこかにあって、こういうのを重ねていくうちに6人のグループに慣れていくのかなって。いまはまだ6人を関ジャニ∞だと違和感もなく思うことはできないけど、悲しかったのがファンだけじゃなくて7人の周りの大人も一緒だったのが嬉しい。
7人で最後に演奏したLIFE。最後にeighterと叫んだ声が、8EST 味スタの「行くぞeighterー!」と重なって今までのことを思い返さずにはいられなかった。
最後の言葉が、ありがとうでもこれからの関ジャニ∞をよろしくでもなく、自分が名付けたファンの名前だなんて、ずるすぎる。
そして錦戸も言ってたみたいに、LIFEの歌詞がいまの彼らすぎる。4月からエイトの曲が聴けなかった理由の1つに、いまの状況を表しているような曲が彼らには多かったからが私の中ではあって。
彼らは曲を通して様々な場面で私の背中を押してくれて、時には寄り添って立ち止まってくれてたんだなって実感した。それはきっと私だけじゃないはずだ。
最後まで6人と1人じゃなかった。今まで通りの7人にしか見えなかった。これから先も7人を見て居たいけど、これが彼らの決めた決断なら私も覚悟を決めてお互いいい形で少しずつ応援していきたい。
そして、少しだけ頑張る6人も見たいと思うようにもなってきた。というより正確には、気持ちの整理も4月に比べたらついて、もう後戻りできないから見守るのが私のできる最大限、というの感覚に近いけれど。
6人の関ジャニ∞、寂しくてたまらないけど怖い気持ちがなくなってきたのが4月から1番変わったことのような気がする。
すばるの存在は誇りでしかなかった。こうしてメンバー揃った会見を開いて、レギュラー番組でラスト回を設けてもらって、多くの人に惜しまれながらグループを抜けるのはジャニーズで誰もいなかったんじゃないかと思う。エイトにしか出せないすばるの良さもあると思うけど、エイトでは出せないすばるの良さももちろんある。だからそれを思う存分出して、見つけて、身につけて、世界中に人を魅了してほしい。
同時に、すばるの居ないエイトだからこそ出る良さももちろんあるはずだ。関ジャムに松岡茉優ちゃんが来た時に言っていた「ダンスも歌唱力も飛び抜けてでき、グループを変えた1人でもある鞘師が抜けてから、他のメンバーが今では鞘師レベルまでになっている」のように6人ももっともっと大きくなってほしいな。
そしてそれでも少しだけわがままを言っていいなら、あと少し、あと少しでいいから長くすばるに関ジャニ∞にいてほしいとおもってしまうよ~。
6人と1人を応援するのが必ずしも前だと思ってるわけじゃない。でも4月に感じた前に近づけているのはなんとなく嬉しい。ただそれは時間が解決したことじゃなくて、世界が別れてしまった3ヶ月前から今日までの彼らの姿を見たからだと思う。いつも通りで居てくれたことがこんなに嬉しいことだとは思わなかった、だから私の進みたい前へ近づけたんだと思う。
今回のことは決して望んだことではないけれど、7人の決断を私が出来る範囲支えたい。きっと涙を流すことになるけど、それでも、歪んだ視界でも、しっかりと6人の決意を見守れるように寄り添った距離で明日の札幌ドームを迎えたい。
すばる、いままでセンターで引っ張ってくれて本当に本当にありがとう。すばるにしかできない大きい夢、絶対掴めよ!
2018.07.14
この夏に閉じ込められて
備忘録
2週間が経った。まだそれだけしか経ってないんだ、という感覚だけど3ヶ月がすぐ来てしまうことはなんとなくわかる。
4/12 フライデーで報道された渋谷すばる脱退の記事。写真も前にフライデー撮られた時の使い回しで、すばるがアイドル路線にこれ以上付き合えないなんて信憑性のない内容ばかり。全然信じてなかった。話題性のために脱退の文字を使うことに苛立った。それと同時に、フライデーが出てもここまでみんなに信用されてるすばるが羨ましくてたまらなかった。絆とかそんなのじゃなくて、ただただ愛されてるなぁって。
4/15 9:30 FC会員宛に1通のメールが届いた。内容は、「関ジャニ∞のメンバーから、大切なお知らせがあります。本日午前11時より、下記URLからファミリークラブ会員サイトをご覧ください。」というもので。
怖かった。手が驚くほど冷たくなって震えが止まらなかった。私の頭に浮かんだものが現実になりそうで、全然信じてなかったフライデーがここで初めて意味を持った気がした。
こんなにも結婚報道であることを望んだのは後先これが最後だと思う。誰も欠けないでほしい。1時間半後の状況を考えたら不安で仕方がなかった。この時の状況を一瞬だったという人もいれば、すごく長かったと言ってる人もいて、私は後者だった。遊びに行く予定が入っていたから、毎日している準備をいつものようにしようとしても何も手がつけられない。時計を見てもまだ2分しか経ってない、こんな感覚初めてだった。その間泣きながら電話をした。状況を理解していない相手に、何故ここまで怖いのかを説明するためには脱退するかもしれないという言葉を言わないといけなくて。それを自分の口で伝えたら言霊になってしまいそうでそれに対しても涙が止まらなかった。
4/15 11:00 すぐに繋がると思ってなかったけど、何度も何度もサイトにアクセスした。すでに11:07。Twitterを開けば誰かが情報を流してくれてるだろう、でもどんな知らせでも私は本人たちから聞きたくて震える手でサイトが開かれるのを待った。そして開いた時の最初の感想は、開いてしまった というものだった。
信じたくないものを目の前にして、こんなことなら大きな穴があく前の時間に居たかったと強く願った。ずっと、何十年後先まで。こんな瞬間来て欲しくなかった。
目に入ってきたすばるの言葉。
本人から言われたらもう後戻り出来ないんだって実感させられた。どうして、どうして辞めてしまうの。6人のいない夢を見てしまったの。それを6人を残してまで追ってしまうの。6人が描いた夢にはきっとすばるも居たのに、どうして。
その後に続くメンバーの言葉。こんな形でアイドルとファンを結んでほしくなかった。どうしてみんなそんなに謝るの。前を向けてるの。いつから知って悩んでたの。そんな素振り、メールが届いた今日の9:30まで見せなかったじゃん。今まで一緒に走れて最高だった、なんてもう遠い昔の思い出みたいに話してるの。倍々なんて、辛すぎる。
私ってこんなに7人に執着してたっけ。
私にとって渋谷すばるが、やすくんの居る 関ジャニ∞の一員 という枠組みでは収まりきらない存在なんだなって強く思い知らされた。やすくんが好きで、やすくんが好きな関ジャニ∞のコンサートに足を運んで、でもそれだけじゃなかった。これからもずっとずっとデビューした時に夢見た景色を見れるまで、這いつくばって頂点目指す7人を応援したかったのに。
渋谷すばるは関ジャニ∞のセンター。私は元々真ん中で目立ってる人を好きになるタイプじゃなくて、端で無邪気に頑張ってるやすくんが好き。極論、やすくんがメインボーカルでメンバーカラーが赤でセンターだったら私はやすくんを応援していなかったと思う。それだけグループの色って大切で、その中で必ず中心にいたのがすばる。
6人はすばるに離れて欲しくなかったから音楽を極めたんじゃないかな。もちろんそれが全てだとは思わないけど、横山村上は少なくともそうだと思う。それなのにどうして、どうしてすばるに離れられたくなかったから極めた音楽に、すばるを取られてしまったの。
横山と電話で喋った宮根さん「彼(すばる)は関ジャニという存在があったからこそ、僕は関ジャニを脱退できるんだと。それは関ジャニのお陰だ 、っていうのはすごく言ってたみたいですね」上手く理解ができない。悲しすぎる。
2年3年前はドリフェスに、去年は初めて野外フェスに参加した。受験期でメトロックに出たことさえ出演後に知った私は、Mステで目を輝かせて話してた姿がいまでも忘れられない。
自分たちのバンドスタイルが評価されて自分たちの音楽番組を持つようになって、たくさんのアーティストさんと毎週セッションした。いまの7人のスケジュールでたくさんの曲を短期間でこなして、想像以上の大変さだと思うけどそこで身に付けたスキルは本当に大きい。人脈も広がって有名なアーティストの方々に楽曲提供もしてもらった。その曲が収録されたアルバムで5大ドームツアー。5大ドームツアーは嵐と関ジャニ∞だけの6年間連続という偉業で、10ヶ月に2回は史上初だった。
今年は2018年。インフィが∞年だ!って張り切ってるのに笑っちゃったけど15周年を控える年でもあって、今年はどんなことで私たちをたのしませてくれるんだろうって胸を躍らせてた。絶対期待を裏切らない7人だから期待しかしてなかったのに。
“ 1人減っただけ ” 客観的に見たらそうかもしれないけど、私にはどうしても重くて、深くて、大きな穴で。
私、2016年のエイタメからすばるがファンの黄色い歓声を集めるような仕草をするようになって、それがアイドルをすごくたのしんでるように見えて嬉しかったんだ〜。
もちろんいままでもたのしんでたと思うけど、キラキラアイドル路線ではなかったから新しいところに手を出したすばるが強かったし上手く言えないけどとにかく嬉しかった。
でも私何もわかってなかったんだな、だって辞めたいなんて全く気づかなかったんだもん。
7/15に開かれた会見
誰一人嫌いになれなかった。むしろ好きになるばかりで、私ってこんなにグループのこと好きだったんだって実感させられた。
どうして20年近く一緒にいたのに離れることを2ヶ月で決めてしまったんだろう。半年・1年経てば何か最善策があったんじゃないかって何度も何度も思ったけど、関ジャニ∞じゃないところに夢を見たすばるが曇った気持ちでコンサートをした方が、後から知った時のダメージが大きかったと思うとやっぱりタイミングは今しかなくて。それは、いつから脱退を決断した?って記者会見の時に言われて1年前って答えられてたらコンサートで聞いた声を私は信じることができないから。だから大倉の言った今までに偽りはなかったって言葉に心から救われた。メンバー揃って出席してくれてファンのことを想った会見に何も言えなかった。
みんなまっすぐなんだよ。まっすぐでまっすぐでそんな7人が大好きなんだよ。
すばるはきっと大丈夫だと思う。
歌が本当に上手。ソロでロッテルダム行った時総立ちさせて、その感覚がきっと忘れられないのかな。やりたいことをやったらいい。ジャニーズで出来なかったことをたくさんして、自分が納得できるまで好きなことを好きなだけ極めたらいい。事務所の環境に甘えず、自分の音楽を武器にして戦うなんてかっこよすぎる。1人の男の決断として止める理由なんてない。
でも、1人の男としての恋とか結婚とか家庭という夢を捨ててまで頂点を追い求めた6人はどうなってしまうの。
何に対して涙を流してるのかわからない日々が続いた。大好きなグループのセンターがいなくなる。理由は音楽を極めたいから。英語圏に出て日本だけじゃなくて世界規模で音楽を学びたい。でもどうしてこんなに私は泣いてるんだろう。ただひたすら寂しくて悔しくて虚しい。
そしてこの喪失感の原因はすばるじゃなくて残された6人なんだって気づいた。
私、6人じゃ不安だったんだ。
ジャニーズでは他にもメンバー脱退を経験してるグループがある。関ジャニ∞もその中の一つで。残された側を経験したから自分が離れる側にはいかないだろうって変に自分を納得させてたのかもしれない。こんなにすばるにはジャニーズの枠組みに収まらないくらいの歌唱力があるっていうのに。でも無邪気に笑いあってる7人のおっちゃん達をみて、ソロで活動する時は「関ジャニ∞ 渋谷すばる」を大切にしてくれて、これから先10年後だってきっと変わらずこんな感じでいつでも笑ったり泣いたりでいこうって、一生あなた達のアイドルですって言ってくれたら何も疑わない、疑いたくないじゃない。
私の中で全盛期はどのグループも脱退前。他のグループと比較したって仕方がない、そのグループを好きになったんじゃなくて私は関ジャニ∞を好きになったわけだから。でも不安要素には十分すぎた。
本当に本当にこれからだって時なのに、いままでのが全盛期だったの?もうこれ以上の景色を見ることができない?期待を裏切らないってわかってる、でもどうしてもこの感情は隠せなかった。
私は本当にいままで何を見てきたんだろう。何度もコンサートに足を運んで、7人を見て来たはずなのに、胸を張って6人が7人の関ジャニ∞より高い所に行けるって言えない。それが今回の件で1番つらい。自分が情けなくて悔しくてたまらない。
もちろん、この決断をした6人と1人に「この道に決めたなら必ず成功しろ」なんて全く思ってない。でも、好きな人の未来は明るい方いいと願わずにはいられなかった。
やすくん含める会見の7人が驚くほど前を向いてた。私にはできない、だからゆっくりでいいと思えば思うほど、会見から始まった“関ジャニ∞にすばるがいる猶予”が刻々と短くなっているのを感じては焦ってしまう。
受験が終わって、あれほど来て欲しかったやすくんに会える夏が、一生来て欲しくない夏になってしまった。やすくんに一生会えないより、関ジャニ∞が6人になる事実の方がよっぽどか辛い。
いままで近い誰かが亡くなったりあまりに辛いことがあった時は、なにもなかったことにしてあやふやな夢に近い感覚にしていた。でも今回だけは苦しくても残りの時間を噛み締めて生きたい。
明日は我が身。なにがあるかわからない、アイドルは儚い。そんなこと分かっていたはずなのに、信じたくないから目を背けていたんだと思う。こんなにも悲しくて悔しい気持ちばかりなのに、あの公演行っておけばよかったと思うことがないのが僅かな救いの気がした。だからこれからも行ける現場は無理をしてでも行きたい。6人の決意した姿をしっかり目に焼き付けたい。そして6人にはいっぱいいっぱいすばるの居ない新しい夢を見てほしい。
今度は1人でメインボーカルを務める。自分だって夢を追いたかったと思うのに、残ってくれて嬉しかった。機転の効いたアイディアと努力からなるスペックでこれからもグループの先陣をきってほしい。
眼鏡の理由をサタプラで聞いたとき涙が止まらなかった。よくわからない感情のまま1週間が経とうとしている時にその言葉を聞いて、一気に張り詰めていた何かが崩れた。たぶんあの時が1番泣いたと思う。いきなりベース上手くなったんだからすごいなと思ったらすばるが原因だったんだね。会見後の大切な日。いつも通りでいてくれることを選んでくれて嬉しかった。
関ジャニ∞というグループの全体像を掴んだ上で発言や行動をすることができる人だと思ってる。それはきっと大倉が1番ファンに近い心理で居てくれてるからなんじゃないかと思う。会見の時、自分に正直に居てくれて、勝手な判断をしたすばるくんを嫌いになれなかった って言葉に焦らなくていいんだって思えた。私が抱えたどうしてという感情を全てすばるにぶつけてくれて、そのことをファンに伝えてくれてありがとう。好きな景色からドラムを叩けないのがかなしいけど、どっしり真ん中で構えてほしい。
寂しさに蓋をしてしまったように見える。夜ふかしで会見のあった次の日に触れられてもたくさん笑ってたし、何か非難されそうになったらそれを自分に向けるところ、優しすぎるよ。心配でしかない。無理矢理前に進もうとしてるようで見てて辛い。だって1人のラジオの時あんなに怒った口調だったじゃない。無理しないでほしい。
きっと自分だったらすばるを止められるって思ってたんじゃないかな。最後まで説得してくれたのは本当に横山らしいなって思う。止められなかった悔しさに自分を追い詰めないでほしい。デイリーで伝えてくれた気持ち、嬉しかった。一緒に前に進ませてほしい。
きっと1番すばるの未来を信じてる。それはすばるの音楽をずっと側で見てたからであって。前を向けてるのかな、私はいつだってやすくんに敵わない。2人が好きだったからこれからはしゃいでる姿を見れなくなるのかと思うとさみしい。いつも周りに心配させないやすくんだから今回のことはすごく悔しいだろうし不本意だと思う。体はやく良くなりますように、元気な姿見せてほしいな。
未だに7人の映像も音源も聴けてない。周りがいつも通りに動いてるから、まだ夢だったんじゃないかって思うことがある。6人になる現実があまりに信じられなくて、今はそれが普通になってしまう日が来るのが怖い。
7/15の札幌公演で関ジャニ∞は6人になる。埋まるはずのないセンターの欠けた姿を見た私は、どんな感情で新しい関ジャニ∞に会うのだろうか。
夢
私の大好きな映画が映画館で再上映されると聞いて。
もう大きなスクリーンで見ることなんてできないと思ってたからすごく嬉しかった。
この映画は私の中ですごく大切なものだから、この機会に改めて観ることができる私は本当にタイミングがいいんだと思う。
映画が上映された当時は中2で、
自分の夢は大きすぎて叶わないんじゃないかと気付いてはいるものの、何をきっかけにどう諦めたらいいのかもわからないままずるずる引きずって、そんな自分に不安ばかり募った。だから馬淵さんの「夢ってどうやって終わりにしたらいいかわかんないんだもん」「夢を叶えられる人がいるってことは、その何倍も夢を諦めなければならない人がいるんだよ」「夢を叶えるのが難しいのは分かってたけど、夢を諦めるってこんなに難しいの?」と泣き崩れるシーンにすごく胸を締め付けられた。
それでも映画を見終えた後は、私のやりたいことは変わらないしまだなにもやってない。可能性じゃなくてやる努力をしようとずっとその夢を追い続けることを決めた。
そして再上映の今年は受験生。
映画を観た1月はちょうど大学が決まって1ヶ月経った頃だった。
周りの環境、自分の立場や来年の自分に対する抱えきれない不安、進もうとしてる道が合ってるのか何度も悩んで、誰より夢を追いかけてる期間が長くて揺るがないものだと思っていたのに、高3の1年間で何度も諦めた方がいいのかもしれないと思ってしまった。まだなにも始まってないのに。
そして、高3は卒業する年でもある
中学から私立の名古屋にある女子校に通わせてもらって、何か意味があったのかずっと考えてた。でも映画を見て答えがわかった気がして清々しかった。
上映後のトークイベントで監督が、
「挫折とは頂点を知ったり一度でも光を浴びた人が味わうもの。その挫折さえ知ることのないピラミッドの底辺にいる人達、一度も光が当たらず去っていった人達に花束を贈るような映画があってもいいじゃないかと思い作った」といった言葉が、ばしゃ馬さん初日舞台挨拶で言っていた「馬淵のように最後と思っていた作品が上の人の目に止まっていま居る」と重なって、やすくんの痛みを知るものを優しくなれる、に繋がるのかななんて思ってみたり。
4年前と比べて私は馬淵さんより、夢に向かってひたむきに頑張る後半の天童くんよりになれたんじゃないかと思ってうれしかった。馬淵さんの言葉が前ほど胸を締め付けずどこか懐かしく感じてたのがその証拠だと思う。
そして春からは今までの環境と全く違う場所に行く。
離れたいと思ってはいたものの本当に手放していいのか1人でやっていけるのか不安はある。でも手放すわけではなく再発見するために離れるんだって気持ちを持って新しい環境で挑戦したい。
夢の節目となる大切な時期にこうした自分を見つめ直せれる映画に出会えてよかった。そしてこれから先 壁にぶつかるであろう多くのタイミングでこの映画を見返し、自分にとって1番いい選択ができるよう心寄り添える宝物としたい。
ジュリエット通り
ジュリエット通り 考察
あらすじ(パンフレット引用)